東京外論

地方暮らしのほんとうのことを書きます

雨の中で、フロントガラス越しに映るトウモロコシ畑をずっと見ていた

ここは東京ではない、日本のどこか。

 

日本全国で雨が降り続いている。

竜巻が怒ったり、川が氾濫したり、近年は気象状況がおかしいらしい。

私の暮らす腐り切った地方都市にも雨は均等に降る。

深夜まで無能扱いの言葉を浴びせられて、結局営業車でサボる。

営業として売り上げが取れなくても、取れていても給料は変わらないし残業代は出ない。どうやっても変わらないのだ。

 

もう少しで転職ができるからそこから一からやり直せばいい。

人生で学んだことは失敗したら何度でもやり直せばいいし、成功するまでやり続けることこそ成功に一番近い。

 

田舎だから都会の事情とはちょっと違うとか、人との繋がりがどうだとか、もうそんなことを言っている場合じゃないくらいに、世界中にITというかなんというか、そういうものは広がってきている。

私たちの世代がそうだから、これからの市場はもっとそうだろう。

 

苦しい仕事をし続けて得られるものなど雀の涙ほどの給料ならばいる意味はない。

 

 

仕事は辛いけど、仕事の何が辛いんだろう

ここは東京ではない、日本のどこか

 

地方での仕事と、東京での仕事、両方経験したことがあるが、どちらも辛い。

まぁ営業職しかしたことないからだろう。

自分には営業の才能はないと思っているし、自信もない。

どちらかというと営業がかっこいいとは思えない。

今の会社は営業部だからと言って給料が高いわけではない。とにかくエリアも既存顧客も持たせられず、ひたすら新規営業を行うばかり。

何をやっても給料も上がらないから、もうどうでもよくなっている。

 

今日も上司にくどくど言われた。

俺すげーな話を、延々と聞かせられた。

東京なら、乗り継ぎの駅や、行き交う人の帰り道で少しづつ、仕事から遠のいて行くのがわかるけど、ここは誰も歩きはしない真っ暗な道をひたすら車で帰って終わり。

東京の人たちは毎日帰りに飲めるからいいね。

 

ひたすら酔うこともできず、明日がまたやってくる。

それがどうしようもない。

 

才能が欲しい。

未来を切り開ける力が欲しい。

 

夏はやはり暑かったのだと改めて思う

ここは東京ではない、日本のどこか。

 

七月に入った途端に真夏のような気温になった。

営業車のエアコンが気持ち悪い臭いを吐き出している。エンジンを切ったらすぐ暑くなるのでたまらない。

東京にいた頃は、地下鉄で涼んだり、喫茶店に飛び込めばよかったものだがどうもこの土地ではそうはいかないらしい。

 

東京の夏は暑いと言われているが、ここよりかはマシだ。

ここは熱中症患者も多く、海から湿度の保った風が吹き続けるため、異様に暑い。

時々、幼少期を思い出させるような、風が吹くときもあるけれど、そんなものは気休めにはならない。

気温が体温に近づけば近づくほど、多分熱にうなされるのと同じ状態に人間はなっているのではないかと思う。

だから夏の記憶はいつも曖昧なままだ。

 

 

七夕は真冬の夜に

ここは東京ではない、日本のどこか。

 

休日でもお金がないから、どこにも行けず、朝から釣りをして晩御飯を稼ごうと思ったけど、ものすごい雨のため諦めた。

 

ホームセンターで七夕の飾り付けを買ってきて、笹もどこからか仕入れないと。

明日は竹藪を探そうと思う。

 

大好きなバンドのライブにもう行けないと思う。

東京でしかやらないし、お金もない。

ライブに行くことってすごく贅沢だと思う。

ステージに目を輝かせ、手を振っていた時代が懐かしい。

 

今は何をするにもお金の心配ばかり。

 

 

風の吹かない夜に会いたい 胸の奥の君の声にすがるように

ここは東京ではない、日本のどこか。

 

アホみたいな貧乏から抜け出そうと思って始めた転職活動で内定が出た。

給与も今の三倍ほどになる。

でもなんだか嬉しくないし、面接を受けた時よりも冷めてしまっていた。

勤務地が全く希望するところではないし、なんだか会社もブラックじみている。

 

迷うことばかり増えて、疲弊している。

夢や希望はいつもそこにあるのに、どうしても辛いことばかりに目が行きがちで、生まれや育ちや、今の環境のせいばかりにするけど、結局のところ、これでいいやと思っているのかもしれない。

 

明日明後日は土日だから、休みで、釣りにでも行こうかと思っている。

お金もないから、遠くの温泉までなんてことはできない。

ガソリン代を気にしないくらいドライブしたいし、財布を気にせずに旨いものやお酒を飲みたい。

 

大好きなバンドの大好きな曲だけが今の支えな気がする。

才能が欲しいし、勇気も欲しい。

そして何より今後どうして生きていけるのか、その指針を示して欲しい。

 

 

名前を付けてやる

ここは東京ではない、日本のどこか。

 

子供が10月に生まれることになって、本当に楽しみなんだけど、お金だけが心配だ。

スピッツに名前をつけてやるという曲がある。

あの頃のスピッツは本当に刹那的な曲が多いんだけど、ふと子供の名前を考えた時にこの曲が思い浮かんだ。

 

これから生まれてくるのに将来は心配だとか、不幸な時代だなんてのは思わない。

でも、地方で生まれると、本当に差がついてしまうからそれが申し訳ない。

東京三代目とは大きく差ができるだろう。

 

でも、幸せになってほしいと思うし、幸せにさせてやろうと思う。

最近いろんなことが沢山押し寄せて、流されていったけど、子供のことを考える時だけは心が落ち着く。

 

 

 

夏になること、それは毎年繰り返す白昼夢

ここは東京ではない、日本のどこか。

 

営業先は今日は100キロほど離れたところだったので、営業車をバイパスを走らせていた。山を切り開いて作られたこのバイパスは、私が子供の頃から工事をし続け、未だに完成していない区間もあるが、ようやく一通り開通し、県民の悲願だった東西部を昔よりは一時間も早くつけるようにした。

 

そんなバイパス沿いに広がる田んぼは既に田植えは終わり、新緑が気持ち悪いくらい山々からはっきり見えていた。

バイパス沿いはどこまでもどこまでも山と田んぼと時々遠くに風車が見えるくらいだ。最近読んだ本に、このまま日本の人口が少子高齢化で減り続けると、西暦3000年には日本の人口は2000人になるだろうという話だった。

この景色は例えば1000年前の人間も見たのだろうか。

1000年前も初夏は少しの淡い期待と、伸びゆく新緑を見続けていたのだろうか。

樹齢1000年を超える木々はこの場所にはそうそうないと思うので、山々も少し今とは違った形で見えるのだろう。

少し、遠い世界のことを考えながら、バイパスを走っていた。

社用車のヴィッツは意外にもちゃんと走ってくれて快適だ。エアコンの効きもいい。

私が今日行った営業活動は少しでも売り上げに繋がったのだろうか。月末だから、ずっとそんなことが気になる。しかし、こんなゴミ見たいな給料しかもらえてないので、いまいち頑張る気にもなれず、給料のせいにして問題を棚上げしているようにも思う。

 

まぁなんというか、夏が少しづつ近づいているのはわかるし、少しだけ旅行の計画とか淡い期待をするけど、お金がないから諦める。

 

今年は今までにやったことないことをしたい。