東京外論

地方暮らしのほんとうのことを書きます

優秀な人材は都会に流れ、残るのは…

ここは東京ではない、日本のどこか。

 

今日もくだらない愚痴に付き合わされ、帰るのが遅くなった。ただでさえ、残業代は出ないのに定時はもう三時間も過ぎていた。地方の中小企業に勤めるとこんなことは良くあることだ。辞める知恵も勇気もない。それは私も同じだが、現状に疑問をもたず広い世界を知らずただただ耐えている。耐えているという感覚はおかしいのかもしれない。ただ他に道などないのだと思っている。

 

疲弊した地方での税金の仕事を奪い合い、ジリ貧になるのはもう見えているのだ。

地方都市での最大の大手企業は「県庁」であるからそのことをしっかりと自覚するべきであろう。待遇も対応も悪いこの土地で生きるのは、スローライフという幻想を追ってきた人々にとっては辛いかもしれない。

 

優秀な人材は東京へ行くべきだ。

ここは土台がない。

私はこの地で星屑となりて消えてしまうのだろうか。

 

 

雨の桜の中に、地方での生活のお金を考える

ここは東京ではない、日本のどこか。

 

やっと満開になった桜も降りしきる雨の中、花見客もおらずに散りゆくのだろう。

商工会の名前入りのぼんぼりがとりあえず例年のごとく設置しました感を否めないまま、企業の名前ももう日に焼けて読めない提灯に白熱灯のオレンジの光がふんわりと桜を照らしていた。東京でこのような河川敷の桜並木なら花見客でいっぱいになるはずなのに、日が落ちたばかりのこの河川敷は、雨のせいか、過疎化のせいか、人もまばらで落ち着いて桜を鑑賞できた。

 

書き始めたブログも三日坊主になりかけていた。毎日ひたすら忙しく、深夜に及ぶ残業残業で田舎暮らしのスローライフには程遠い毎日だ。もちろん残業代はでない。給料も激減して家賃、奨学金、自動車の維持費等考えると、どう考えても毎月赤字になる。地方都市が疲弊して終わってゆくのも、若者が戻ってこないのも、どう考えてもこの給料じゃやっていけないからだろう。

東京の平均給与とこの土地では200万円も差が生まれている。

勘違いしてしまうが地方は決して物価が安いわけではない。家賃も車の維持費を考えれば都会ととんとんだ。

なぜこの土地に戻ってきたのか自分でもよくわからなかうなってしまう。

お金は実弾、何をするにもまずお金だ。

お金さえあれば幸福になれるわけではないが、お金さえあれば不幸は防げる。

 

今の自分には守るための、不幸を防ぐための実弾ですら持ってはいない。

 

 

日本海側の春は黄砂の季節なのか?

ここは東京ではない。日本のどこか。

 

残業でクタクタに疲れて、やっとブログを書いている。田舎の会社はまったりゆったりなんて嘘で、低賃金で重労働だ。多分私を含め頭が良くないから効率的に仕事が出来ないんだろうな。

現状に疑問を持たないから、延々とサービス残業をし続け、転職する勇気も都会に戻る勇気もないんだと思う。この土地で生まれたから。ただその一点のみに人生を大きく左右される人間が案外多いことを私たちは知らなければならない。

 

仕事帰りに駐車場に止まっている自分の車が真っ白になっていた。ブッラクのボディだから結構目立つ。そういえばこの土地は黄砂が多いことを思い出した。夕暮れが霞むのも黄砂のせいだ。洗濯物も外には干せまい。全く嫌になる土地だ。

日曜日に洗車をしてせっかくピカピカにしたのに、月曜日からいろいろげんなりだ。田舎で暮らすにはその土地の気候をよく知る必要がある。

四季を五感で感じながら、しっかり生きてみることだ。

 

 

 

東京はなぜ「東京」になりえたのか。この青空を背に

ここは東京ではない。日本のどこか。

 

今年は東京メトロ銀座線が90周年だそうだ。私が東京にいた頃、と言ってもつい先月のことだが、銀座線の各駅はリニューアル工事をしていた。来るべき2020年への備えだろう。銀座線はよく仕事で使っていた。

その銀座線が90周年ということは90前から東京には地下鉄が走っていたことになる。私の今生活している地方都市には地下鉄なんてない。おそらく今後90年後にも地下鉄なんてできないだろう。そんなことを思うとこの土地は東京の90年前と同じレベルなんだと思う。

 

今日は久しぶりによく晴れた日だった。日本海側のこの地は冬は晴れることは稀で、曇天の曇り空が続いていた。こちらに引っ越してきた日だってそうだった。晴れている日でも、なにか「ベール」のような薄いものに包まれている天気になる。

 

私が人生で初めて青空を見たのは間違いなく東京だった。真冬でも突き抜けるような青空が広がるのは東京でしかありえない天気だ。

東京があそこまで大都会になったのはこの青空も起因しているに違いない。冬でもこれだけ爽やかな青空が広がる場所、雨も降らず、快適に過ごせる場所はやはり仕事も捗る。

噂によればシリコンバレーも一年で300日くらい晴れらしい。

東京がここまで発展したのは関東平野に広がる青空のおかげではなかっただろうか。

 

そして私が取り残された場所はいつも雨ばかりだ。

人も経済も、疲弊して、終焉をただ待つのみ。そしてそのことに誰もが気づかず、青空を知らず、まだ桜は咲いてはいない。

 

 

一週間前、東京。現在、地方都市

ここは東京ではない。日本のどこか。

 

どうもです。

今日は四月の一日。暦の上では新年度になり、新生活などで一週間前とはずいぶんと違う生活をしている人がいるのではないだろうか。寂しい思いや、不安が胸に詰まりそうになっている人もいるだろう。私もそんな中の一人だと思う。

私は一週間前は東京にいて、ちょうど御茶ノ水駅から丸ノ内線で池袋に向かっていた。上海から帰ってきた弟と再会をし、焼肉を食べ、久しぶりの再会を喜び、異国の珍しい話を聞いていた。賑わうJRの改札、明るい街、華やかなネオン、大都会を私は堪能していたのだ。

 

そして一週間後、私は東京からすれば異国とも思える地方都市に仕事の都合で引っ越してきたのだ。正確に言えば生まれ故郷に戻ってきたことになる。

 

近年、「田舎暮らし」とか「地方創生」とかいろいろ言われているが、地方で暮らすということは実際にどういうことなのか、また東京とどう違い、どこが同じで、これから地方が日本がどこに向かっていくのか少しでも私が考えていければいいと思い、このブログを書くことにした。

 

はっきり言って「地方暮らし」に理想はないと思っている。現実はもっと悲惨で惨劇であると思う。

地方民のリアルな声を届けていければいいなと思っている。地方生活に役立つレビューなんかも考えている。

 

とにかく、私はもう冬の地下鉄のあの独特な匂いは感じることはなく、今はまだ寒すぎる雑木林の空き地をアパートから眺めながら、晴れない雲を眺めつつパソコンをつついている。

なかなか文章をつらつら書くことは慣れていないので、乱筆もあるかもしれない。

ただ人生の節目の時に始められたのはいいことだと思う。

どうか少しでもこの声が届きますように。