東京外論

地方暮らしのほんとうのことを書きます

夏になること、それは毎年繰り返す白昼夢

ここは東京ではない、日本のどこか。

 

営業先は今日は100キロほど離れたところだったので、営業車をバイパスを走らせていた。山を切り開いて作られたこのバイパスは、私が子供の頃から工事をし続け、未だに完成していない区間もあるが、ようやく一通り開通し、県民の悲願だった東西部を昔よりは一時間も早くつけるようにした。

 

そんなバイパス沿いに広がる田んぼは既に田植えは終わり、新緑が気持ち悪いくらい山々からはっきり見えていた。

バイパス沿いはどこまでもどこまでも山と田んぼと時々遠くに風車が見えるくらいだ。最近読んだ本に、このまま日本の人口が少子高齢化で減り続けると、西暦3000年には日本の人口は2000人になるだろうという話だった。

この景色は例えば1000年前の人間も見たのだろうか。

1000年前も初夏は少しの淡い期待と、伸びゆく新緑を見続けていたのだろうか。

樹齢1000年を超える木々はこの場所にはそうそうないと思うので、山々も少し今とは違った形で見えるのだろう。

少し、遠い世界のことを考えながら、バイパスを走っていた。

社用車のヴィッツは意外にもちゃんと走ってくれて快適だ。エアコンの効きもいい。

私が今日行った営業活動は少しでも売り上げに繋がったのだろうか。月末だから、ずっとそんなことが気になる。しかし、こんなゴミ見たいな給料しかもらえてないので、いまいち頑張る気にもなれず、給料のせいにして問題を棚上げしているようにも思う。

 

まぁなんというか、夏が少しづつ近づいているのはわかるし、少しだけ旅行の計画とか淡い期待をするけど、お金がないから諦める。

 

今年は今までにやったことないことをしたい。